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Epoxy -エポキシ樹脂-


(2)

 テーブルの上を手付かずのアイスが転がった。
「冷やさねェと」
 レオンハルトは呟き、両手をうっそりと持ち上げた。熱を帯びた腕はテーブルを横切り、ヤトの背をしっかと包み込んだ。
 ヤトに耳朶を食まれた。びくりと反らした首がヤトの手に捉えられた。長い小指が隆椎に触れ、肌が粟立った。
 頬骨を甘噛みされ瞼を覆い吸われた。レオンハルトの長い睫毛が戦慄いた。眉を辿ったヤトは額の中央に唇を置き、好きです、という言葉と熱い息を吐いた。それからゆっくりと鼻梁をなぞるように唇を滑らせ、鼻筋を甘噛みし、上唇の尖りを啄んだ。厚みの薄いヤトの唇は啄むだけのキスを繰り返した。
「ヤト」
 ヤト、と、上擦る声でレオンハルトは繰り返した。ヤトはその一つずつに、はい、と答えてくれた。
「ヤト、好きだ」
 レオンハルトはヤトのシャツを掴んだ。途端、緩やかに重なっていた繋がりに烈烈としたぬめりが広がった。歯が当たる程強く唇を押し付けられ、べろりと歯列を舐られる。ヤトの舌は歯茎と唇の境目まで入り込んだ。にちにちと、粘度の高い音が響く。
 レオンハルトはヤトのキスしか知らない。自室の床に押し倒されてされた初めてのキスは、今のそれと同じくらい濃厚だった。
 だからキスってこういうものなんだろうな。レオンハルトは溶けた頭で考え、口の奥で怯えていた舌をおずおずと差し出し絡めてみた。ヤトの舌がぴくりと震え、そっと口を離された。
「ごめ、嫌だっ」
 顔の角度を変えたヤトがレオンハルトの口を塞いだ。ヤトの舌がずるりと粘膜を弄ぶ。じゅっと強く吸われ、レオンハルトの舌がヤトの口腔へ呼び込まれる。熱く唾液に溢れたそこで舌が泳いだ。息もつけない激しさに目頭が熱くなった。
 レオンハルトはうっすらと目を開けヤトの顔を見た。ヤトは見覚えのある目でレオンハルトをきつく見据えている。
 と、ヤトがぽつりと言葉を落とす。
「誰としたの」
 なにを、と答える前に再び口内を舐られる。重ねたまま隙間からレオンハルトは喘ぎ喘ぎ言葉を紡ぐ。
「キ、スは、お、む、おめぇと、しか」
「え」
 ヤトの腕の力が緩んだ。知らぬ間にずり落ちかけていたらしい尻が椅子を弾く。力の入らないレオンハルトは自身を重力に任せたが衝撃はなかった。柔らかさの足りない腕が頭と背に添えられていた。
「したことねーの?」
「だから! そう言ってるだろ! 悪ィか!」
 憤慨すると、大層ご満悦な様子のヤトにキスをされた。
「悪いわけねーでしょ? 駆除対象が増えなくて良かった」
 悪びれない笑顔が怖い。ぶるりと震えてレオンハルトが問い質す。
「バッカ! 駆除ってなんだよ駆除って! ってか、増えるってもう誰かいんの!?」
「目下、眼鏡の長身は名簿の上位に食い込みそうな予感がしますね」
「アホか! そんな名簿を作ンな!」
 レオンハルトはヤトの耳を引っ張った。いてーですと笑うヤトが顔を寄せてくる。触れるだけのキスはすぐにどろりとした熱を孕む。くちくちと細かく頬の内側を探られて、レオンハルトも懸命に同じことを返す。
「レオ、ソファ欲しいな。買ってもいいですか?」
 レオンハルトの身体を横抱きにしたヤトが言う。
「作ればいいじゃねェかよ」
 肩に頭を置きレオンハルトは答える。ヤトが笑う。「それも魅力的なんですけど」
「俺、レオと一緒に買い物したりとか、どこかへ遊びに行ったりとかもしてーです。オツキアイって、そういうものなんでしょう?」
 尋ねる声は酷く幼い。レオンハルトは胸が締め付けられるような気持ちになり、ヤトの鎖骨の上で息を吐く。
「オメェ、ホントに色々知らないのな。……オレもオメェのコト言えねェけどよ」
「はい。だから一緒にして下さい」
「……おう。じゃあ、明日晴れたら買いに行くか。でもあんまりでけェのはヤだからな。掃除が面倒くせェ」
 笑ってレオンハルトはヤトの頬に口付けた。ヤトが嬉しそうに微笑み頷いた。
 首筋へヤトの髪が落ちた。さらりと広がる感触に肌が総毛立つ。髪がすっかりと乾いてしまうくらいに長く、彼とキスをしていたのだろうか。
 レオンハルトはぴったりとした衣類が苦手だったので、在宅時は肌触りが良く柔らかく緩い服を好んで着ていた。今日の服も肩口が開いたシャツとキルティングのパンツだ。それがこんなに頼りないと思う日が来ようとは。
 緩いシャツから肩口が顔を出した。喉仏を食まれたレオンハルトは身体を捩らせ啼いた。
 ヤトが長い親指を鎖骨の上で遊ばせる。
「っあ、や、ぁ」
 なんだろうこれは。なんなのだろう。
 レオンハルトは身悶えしかできない。ぶるぶると揺らぐ体がヤトに抱き締められる。「レオ、ごめん」
「もうちょっと、触りてー」
 レオンハルトの耳がヤトの胸に当たる。
「ヤト」
「はい」
 硬い筋肉の奥でどくどくと血の流れる音がする。
「……冷たいの、ヤだ」
「はい」
 髪に優しいキスを落とされた。レオンハルトが無言で首に手を回す。ヤトも黙って背中と膝下へ腕を差し入れる。
(そっか、コイツ、見た目よりずっとすげェんだった。いつも見てンのに、なんで気付かなかったんだろ)
 ヤトにはこの程度の体格差などまるで意味がない。滑らかな所作で抱え上げられたレオンハルトは、揺るぎない腕の中で彼に対する評価を改めた。
(ちっちぇえとかそんなの関係ねェな。メチャクチャ格好いいわ、コイツ)

 レオンハルトは広いベッドの上から部屋を見渡した。
 掃除やら何やらで毎日のように訪れている彼の部屋が、今は全く違う色を纏って見える。肌に当たる空気がやけに熱く感じられて、レオンハルトは薄い掛布を体に巻き付け肩を丸めた。
 サイドボードへ向かったヤトは、飾ってあった酒瓶を手に取ると奥の奥へと仕舞い込み始めた。
「何……やってんの?」
「ええと……これはですね、レオのお父さまから頂いた酒なんです」
「親父が? ──ああ、あのとき持ってきた中の一本じゃねェか。どうりで見覚えあるなと思ってたんだ。オメェ飲まなかったの? 好きじゃねェ銘柄だったか?」
 酒には疎くて、と詫びると、ヤトが呆れた声で答えた。
「あなたこれの値段知らねーんでしょ」
「え? うん、ごめん知らねェ。いくらすんの?」
「今の俺らの稼ぎだと……ざっと八か月分かな」
「──うェっ!? はちっ、八か月!?」
「ま、いくらだろうと飲むつもりはありませんけどね」
 笑ったヤトがタグをひと撫でし、静かに扉を閉める。
「さすがに俺、あの人の前であなたとセックスはできねーです。あなたも嫌でしょう?」
 父からの分不相応な贈り物に驚いていたレオンハルトは固まり、一際羞恥を感じてベッドに突っ伏した。親の前で云々はさておき、ヤトがはっきりと望んでいることを口にしたからだ。
 枕を抱いて籠る声で「するの?」と聞いた。ヤトはレオンハルトの隣に腰掛けて「レオが嫌じゃないところまで」と答えた。
「絶対に、あなたが嫌なことはしないです」
 仕事中よりも生真面目で乾いた声だった。驚いたレオンハルトはそろりと顔を上げヤトを眺めた。暗闇でも表情が読める距離だった。
(だけど──これじゃあ、わからねえよ、ヤト)
 暗闇に浮かぶヤトの面には色が無い。何かを堪えるでも熱烈に訴えるでもない彼の顔は、深い寂寞と闇よりも昏いなにかに取り憑かれているようで、レオンハルトは悚然とした。
「ヤト」
 初めて【淵】であれらを見たときよりも唇が打ち震えた。
「ヤト」
 歯を食いしばり恐れを飲み込み彼を呼ぶ。
「来て。オメェのベッド、広くて寒ィよ」
 諸手を投げ出せば、ヤトはふらりと倒れ込むようにそこへ落ちてきた。「ごめんなさい」
「俺、なにもできてねーですね」
「……バッカ。一緒にするんだろ?」
「……はい」
 己の見たものが何なのか気にならないわけがなかった。しかし、ヤトは急かさずじっと待ってくれたのだ。
 今度はオレが待てばいい。
「レオ、いつか」
「うん。いいよ」
 ヤトの唇はレオンハルトよりも細かく顫動していた。二人で重ねて舐め合って、震えを喘ぎに変えた。
 ヤトの手がレオンハルトの体幹を沿いシャツの裾を掴む。するすると持ち上げられる動きに合わせてレオンハルトは体を浮かせる。露わにされた胸へヤトが大きな手を添える。
「やべー」
「なにが?」
「見たことない、なんてワケねーんですけど、すげー興奮する」
 心底陶酔したようなヤトの声と手の動きにレオンハルトは流されそうになる。が、恥ずかしさを殺しヤトの服へ指を掛ける。
「オメェのも、見てえ」
「俺の体、綺麗じゃねーですよ?」
 困った様子のヤトにレオンハルトは笑って返す。
「バッカ。そんだけ働いてきたってコトだろ?」
 ヤトは苦笑で返し小さく頷いた。
 レオンハルトは上体を起こすとカーディガンを剥ぎ、薄手のタンクトップを掬い上げ首と肩から抜いた。そうして現れた体を前にはあ、と詠嘆の吐息を漏らした。
「やっぱ……オメェ、脱ぐとすげェな。なんだよこの大胸筋前鋸筋腹直筋外腹斜筋」
「ごめんレオ、何言ってんだか全然わかんねー」
 戸惑うヤトの声を無視し、レオンハルトは筋肉で固められた腰を掴んだ。やわと撫でさすり、うん、と一人納得する。
「マジだな。興奮するわ。……すげェな」
 目を開いたヤトが照れたように同意する。
「でしょ。やべーよね、これ」
 レオンハルトはヤトの右鎖骨から胸の中心に向かって指を滑らせた。彼の肌に刻まれた無数の傷の中で最も大きく深いそれをなぞり、指先で感じる肉の形に酔いしれた。
「すげーガチガチ。いいなあ。オレ、鍛えてもこんなバッキバキにならねェから羨ましい」
「うん、レオは柔らかいですね」
 レオンハルトの肩から胸を撫でたヤトがうっとりと呟く。
「俺はこっちの方がいいですよ。手に吸い付くみてーでめちゃ気持ちいー」
 ヤトがレオンハルトの胸筋を揉む。むにむにと蠢くヤトの指が男の胸には不要な器官を弾く。
「あ、っ」
 レオンハルトは未知の感覚に踊らされた。ここから先は全てが、どこに触れられてもどうなるのか、レオンハルトにはわからない。
「やべ、こりこり」
 ヤトは片手で右胸を、口で左の胸を弄んだ。どちらも乳輪をなぞる動きで、決して尖りそのものには触れてこない。
「──え、あっなに、やっ、あ」
 くすぐったさに体を捩っていたレオンハルトの声が別の色を帯びる。
「レオ、気持ちいいですか?」
 レオンハルトは答えることができない。痺れが股間へ広がるこれを気持ちいいと言うのなら、ものすごく気持ちがいい。
がくがくと顎を上下させるレオンハルトを見ていたヤトが動きを変えた。
「ゃ、あ、あ! え!? な、あっぁ!」
 ヤトが左の乳首を食んだ。歯を立てないように唇で挟み、離して舌先で軽く軽く転がす。右は指の腹で触れるか触れないかの先端を擦られる。レオンハルトはヤトの髪を掴み、言葉にならない声を上げ続けた。閉じることのできない口の端から唾液が溢れて顎を伝う。
 滴り落ちる液体は口からだけではなかった。リビングでのキスの時点で完全に勃起していたレオンハルトは、先端から次々に溢れる粘液を感じどうしよう、と震え悶えた。
(オレばっかりこんなんでどうしよう。コイツ余裕そうだし、そういう経験だってきっと……いっぱいあって)
 レオンハルトは渦巻く妬ましさに胸を削がれた。唸るレオンハルトの声を聞き、ヤトが「なに?」と艶っぽく見上げる。
「これ、嫌でした? 嫌だったら」
「ヤ、じゃねえ、から」
 慌てて腕をヤトの背に回したものの、この手をどうしたらよいのかとんと見当が付かない。
 わかんねェんだから、仕方ねェ。
 レオンハルトは気持ちよくしてあげよう、という考えをやめた。それはおいおい勉強していくとして、今は初めて触れる人肌を堪能したくて堪らなかった。
「ヤト、嫌じゃねェから、やめねェで。オレも……触っていい?」
 答えを聞かずレオンハルトは手を這わせた。背から肩、鎖骨へと指を這わせ、一番いいなと思った腰回りの筋肉を目指す途中でヤトに両腕を絡め捕られた。
 レオンハルトの顎の下で両手首を纏めたヤトは、片手で易々と抑え込むと再び胸元へ顔を下した。
「や、なんで──っひ、あ」
「ほんと俺、もうやべー位ギリギリなんで、もうちょっと」
 食べさせて、とヤトが乳首を食む。
「あっ、あ、い」
 再び肉の先から粘液が溢れ始めた。柔らかい下着は既に用を成していないのだろう。恥ずかしくて確認できないけれど、
 きっと、下着なんか通り越して。
「っだ、あ、あっも、よごっ、よ」
「なに? レオ」
「っレ、ベッドまでぇ、ぬら、しちまいそ、う」
 レオンハルトの両腕の縛りが解かれ、腿に自分と同じかそれ以上の昂りが押し当てられた。熱くて硬い彼の肉は腿を這い上がり己の肉を掠めた。腹を弾き臍を抉る、焦らすような動きが憎たらしい。髪を鷲掴み肩を食むと、耳を食まれながら裏や傘や先端に擦り付けられた。
「ヤト、きもち、いっあ──っあっ」
「っは、ホントやべー。かわいすぎる。ね、レオ」
「あ、な、っに」
「あのとき指差してたの、俺のココまででしたけど」
 ヤトがレオンハルトの腕を取り、胸から胃の上まで滑らせ止める。
「……もう少し下までイけそー?」
 目元を染め、口元を唾液でてらつかせたヤトが腿に昂りを当て揺すって言う。息を荒げていたレオンハルトは一層真っ赤になり、一瞬俯いて、顔を上げて言った。
「……オレ、誰かのなんて触ったことねェぞ。メシみてェに期待、すんなよ」
「うん。え、レオ、したことねーの?」
「ああ!? キスもしたことねェってのにンなもんあるわけねェだろバカ!」
「や、うんそうか。うわマジですかやべー」
 やべーと繰り返し、ヤトが腹の上のレオンハルトの手を愛おしそうに撫でる。
「じゃあ、最初に謝っておきます」
「何、を」
 ヤトがレオンハルトの手を口元に寄せ、手の甲にキスを落として言う。
「あなたの生涯、触るのも触られるのも俺だけになるよ。許して」
 身を硬くしたレオンハルトは小さく、しかして迷わず頷いた。顔を引き寄せ、頬に手を添えキスを返し笑う。
「浮気すんなよ色男」
「はい」
 手を殊更ゆっくりとヤトの中心へ伸ばした。膝下で窄まったしゃりしゃりとした手触りのパンツはぱんぱんに立ち上がっていた。ウエストゴムに指を掛け、片側ずつ慎重に摺り下げる。
 黒い下着が見えた。ぴっちりとしたそれはボクサータイプのようだった。パンツが肉の先に引っ掛かった。レオンハルトは中央の昂りに触れないよう、両手でパンツを掴みするりと下げた。
「っは」
 膝立ちのヤトがぴくりと動く。顔を染め、うつむき加減で喘ぐ姿が艶めかしい。露わになった下着は肉の先が透けて見えそうなほど濡れて汚れていた。
(オレ、だけじゃ、ねェんだ)
 レオンハルトは安心し、次いで酷く、行為が始まってから最もはっきりと欲情した。体格に似合わぬ大きさの、ヤトの(コレが欲しい)、と喉を鳴らした。
 躊躇いなく指を伸ばし腸骨に触れた。ゆるゆると中央に向かわせて、くびれのはっきりとわかる部分へ指を這わせてかたちをなぞった。
「ふ」
 腕に雫が落ちた。見上げたヤトの顎先で汗が球を作っている。
 レオンハルトは頤を上げ汗を舐めた。俯いたヤトに後頭部を固定され、熱い舌で口腔を舐られた。
 キスを続けながら手探りで弄った。中指が下着越しに竿の先端の窪みに触れた。生温い粘液を指の腹に絡めて軽く叩き淫靡な感触を楽しんだ。薬指も添え、粘液を広げるように亀頭を撫でた。
(セックスって、挿れる……んだよな? こんなの、入ンの? でも──欲しい。咥えてみてェ)
 見えないことが一層気分を高揚させ、動きを大胆にさせた。
 上から撫でていた二本の指をくるりと返し、先程辿ったくびれを挟み込んだ。空いていた手を自分の股間へ伸ばし、同じ部分に同じように触れた。
(やっぱり、すげえ、ベタベタ。ヤトのに擦り付けたら……気持ちイイだろうな)
 レオンハルトは自慰の経験も少ない。それすらもっと若い頃の話で、ここ数年はそんな気にもならなかった。
(オレ、枯れてんなって思ってたんだケド、違うみてえ)
 どうしよう。
 短い呼吸を続けていたヤトが「うわ」と声を上げた。顔を見ると、彼は紅潮した顔で目を見開いていた。彼はレオンハルトの手を──ヤトの肉をなぞる方ではなく、恥ずかしげもなく自分の肉を弄る方を──凝視している。
「ヤトぉ、どうしよ、オレ、ほしいよ」
 ねだるようにキスをして、両手を軽く上下させ、裏側の筋を爪先で引っ掻くと、
「や、まっ、レ──っあ、あ、っく」
 筋肉を震わせたヤトがレオンハルトの肩に縋り、下着の内で吐精した。

 * * *

「ヤトー、ヤトってばよー」
 菓子と茶を手に、レオンハルトはベッドの中央の膨らみに向かって声を掛け続けた。
「なぁ、そんなにヘコむなよォー」
「……儚くなってしまいたい……」
 布団の内側から、くぐもった呻きとも嘆きともつかぬ声が細々と聞こえる。レオンハルトは長い溜息を落とし再び声を掛ける。
「いいじゃねェかよォ。また次頑張ればよォー」
 その言葉にもぞりと布団が動き、端からちょこんと頭が飛び出した。その顔は真っ赤なのか真っ青なのか、アレな感じのチアノーゼ的な色なのかいまいちはっきりとしない。
「次……うん、そっか次……あり、ますか?」
 それだけを言ったヤトが再び引っ込む。小ぶりな頭を素早く捕まえたレオンハルトは大仰に頷く。
「あるだろうよ。多分、な」
「多分、ですか……レオ、浮気しねーで捨てねーでお願い!俺浮気されたら相手始め五親等以内の一族郎党を皆殺して」
「わかった。わかったからその考えは可燃物用のゴミ箱へ投げ捨てろ。もしくは潔く燃やし尽くせ。オメェ得意だろ?」
 少し考えていたヤトはこくりと頷き、布団から這い出るとレオンハルトにキスをした。
 ──ぐう。
 盛大に鳴った腹を押さえ、ヤトが仰向けに倒れる。
「レオ、めっちゃお腹空きました。食わねーとやべー」
「へーへー。とりあえずはコレ食ってろ。あー。ウチの食費、とんでもねェことになりそうだなあ。おう、ちゃんと稼いでこいよ? 大黒柱」 
 レオンハルトがにやりと笑う。弱弱しいながらもヤトもにっと笑い返す。
「はい。超頑張ります」
 いつの間にか雨は上がっていたようだ。遮光カーテンの隙間から床へと落ちた光を見た二人は、明日は買い物に、初めてのデートに行けそうだと同時に口にして笑い合った。
「俺が、明日まで、生きていられたら……」
「はあ? オメェなに言って──震えて匙が持てねェ!? アホか! そういうことは先に言えよ! カッコつけてる場合かバカヤト突っ込むから口開けろあーんだあーん!!」
「モガガ」
 ……こんな風に、二人のおつきあいは始まったのである。

 了