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Nail gun -釘打ち機-


(1)

「おはようございますレオンハルト少将。日誌以外に申し送り事項があるか確認に参りました」
「おはよう大佐。一度出動要請があって出たけど、夜勤組とオレらとで片付くくれェのちっちぇえヤツだったわ。数も一体。司令……にはもう書面で報告してあるし、研究所にも検体提出済んでっから特別オメェらがすることはねェかな。後は何もない。静かな夜だったぜ」
「了解しました。当直お疲れ様でした」 
「おう、お疲れさん。後は頼んだぞ」
 簡単な引き継ぎを終えたレオンハルトは肩を回し、清々しい空気を胸一杯に吸い込んだ。朝日が目に痛い。今日もここ帝国インテグラルは快晴の予報である。
 備え付けの衛生施設で汗を流し身軽な格好に着替えると、当直明けの気怠さもましになった気がした。これなら運転をしても大丈夫だなと判断し、レオンハルトは一般兵用の駐輪場へと足を進めた。
 常々、あんな埃っぽいところではなく将官用の方を使えばよいのに、と言われるのだがレオンハルトは気にしない。中央駐屯地における自分の動線を鑑みるに、こちらの方がずっと使い勝手が良いからだ。
 多少の雨風で痛むようなヤワな造りじゃねェしなぁ、と笑いつつ、レオンハルトは駐輪場の柵を跨ぎ愛機の下へと歩み寄った。静かに佇んでいた機体がどるんと揺動した。
「わ、動いた!」
 ヘルメットを被ろうとしていたレオンハルトの耳が若い声を拾い上げた。振り返ると、少々離れた木立から好奇心で輝く三対の目がこちらを見ている。隠れているつもりなのだろうけれど、レオンハルトには彼らのまばたきまでもが視認できた。精密射撃で皇軍中五本の指に入る彼の目は大変良いのである。
「おう、そこの若ェの。隠れてないで出てこいよ」
 レオンハルトが声を掛けると一拍置いて男三人が飛び出してきた。小、中、大、と並んだ彼らの顔に見覚えはあった。けれど名前までは思い出せない。
「あの! 少将! その魔動二輪車は自作でありますか!」
「これか? おう、幼馴染と一緒に作ったんだ」
「やっぱり! すっげー!」
 わいわいと騒ぎ立てる彼らを見て、レオンハルトは「弟がいたらこんな感じかなあ」と心を温めた。
 彼は三男三女の末っ子である。幼い頃、父親に向かって弟が欲しいと何度お願いしたことだろう。常日頃母と自分、そして兄姉に寛大に過ぎる甘さをもって接する父親はしかし、それだけは決して頷いてくれなかった。
 腕時計が鳴った。慌てて機体を跨ぎ、レオンハルトは彼らに軽く頭を下げ告げる。
「ちょっと急いでっから行くわ」
「レオンハルト少将」
 ステップに片足を乗せたレオンハルトの横へ、彼らの中で最も背の高い男が歩み寄る。
(こいつ、あのひとよりも背ェ高いな)
 眉を寄せたレオンハルトは思い、じわりと広がる痛みを押し隠して「なんだ」と返した。そしてすぐに、こんな態度は部下に取るべきでないと恥じ入った。自分でも驚くくらいに低くぶっきらぼうな声は場の盛り上がりを落としてしまったかもしれない。慌てて長身の男に「悪ィ」と謝り、レオンハルトは話の続きを促した。
「本日の夜、お時間はございますか?」
「あ、そうだった。少将! 今日自分らこいつの歓迎会って名目で飲むんですけど、良かったら顔出して頂けませんか?」
「飲み会? あーうん、わかった。後で場所と時間連絡してくれっか?」
「やった! ありがとうございます少将!」
 わっと沸く彼らに必ず行くからと笑い掛け、今度こそレオンハルトは愛機を進ませた。
 駐屯地を抜けるまでの道すがら、すれ違った誰もが労いの言葉を掛けてくれた。それらの口調は砕けていたり敬礼までされたりと様々ではあったけれど、レオンハルトはそのどれにも同じように笑って応じた。シュテアネ=ゼクス(第六位)という身分でありながら、人柄のみを見て皆に接するレオンハルトはヤトとは違った意味で軍内の信望を集める男だった。
 公道へ出ると行きつけの市場への道程を呟いた。時を置かず、短い機械音と共に『了解』の文字がヘルメットのシールドに浮かぶ。
 乳白色のフェンダーで朝日をつるりと照り返し、レオンハルトは注意深く左右を確認した。遠く丘の上に、太陽を背にした小さな球が浮かんでいる。
「リヒト、次は何作って遊ぶよ。これ以上でっけェモン作ったら怒られっかなあ?」
 いたずらっぽく歯を見せて球に向かって問い掛けた。当然答えが返ってくるはずもなかったので、クラッチを滑らかに繋ぐと借り物の魔力を全開にし走り出した。
「オレ次は、そこまで飛んで行けるヤツ作りてェんだ」
 遥か上空から国を見守る宮の内では、不器用な癖に機械弄りの好きなレオンハルトの幼馴染が、誰よりも強大な魔力で国を包み込み護る仕事──皇帝をしているはずだった。

 両手いっぱいの食材を抱え、レオンハルトは肘で自室の呼び出しを押した。愛機を駆け、あらかじめ決めておいた肉や野菜を買い込むだけだったけれど、なんやかんやとしている内に予定時間を大幅に過ぎてしまった。
 もう一度呼び出しを押す。応えはない。やっぱりかと肩を竦め、レオンハルトは行儀悪く足で扉を開けた。
「ただいまーぁ」
 室内は薄暗い。宿舎のリビングは、キッチンの小さな出窓からしか光が届かない造りである。何かと不便なキッチンと共に改装したいと考えている最たる部分だ。
 明かりをつけ、食材をテーブルに置き、シンクを確認しながら冷蔵庫を開けた。予想通り、中には作り置いておいたスープと焼いた肉が残っていた。平素のヤトの食べっぷりではまず残らない。またシンクには、汚れた皿も破損も見当たらない。
「昨日は駐屯地でも会わなかったなあ」
 静かに冷蔵庫を閉め、山積みになった食材を横目に溜息を吐く。
 ひと月半前、二人が夜を徹して行った会議の翌日は給与日だった。仕事を休日返上で進めたレオンハルトが、財布の中に現金が無いと気付いたのがそれから一週間後である。
 ついでに記帳でもするかと確認した口座を、レオンハルトは素っ頓狂な声を上げて三度見直した。ヤト名義で振り込まれていた金は、レオンハルトが想定していた額と一桁近く違ったのだ。
 もしやあいつは銀行の使い方もわからねェのか。
 一抹の不安に駆られたレオンハルトは、その日の夜ヤトへ恐る恐る尋ねてみた。あの金額だけどよ、と言ったところでヤトが「ごめんなさい」と頭を下げた。やはり間違いであったのかと安堵したレオンハルトに、ヤトは困り顔で言った。「一月であれだけじゃ足りませんでしたか」と。
 そうである。この男、食べられる肉の違いを人かそうでないかで見分ける程度の知識しか持たないのである。そんな男に、今おめぇがガキっぽい顔で食べている揚げ菓子は、振り込んだ金額のウン十万分の一で山ほど作れるんだぞと伝えてなんになろう。適当に金額を決めておけばよかったと後悔したのは後の祭りで、返金には頑なに応じてもらえず金はそのまま口座に残された。
 そしてそれは、現在のところあまり目減りしていない。
「ヤトの顔見て話したの、何日前だっけ? 嬢ちゃんにもあげた菓子を出した日だっけか?」
 思い出せねぇなあトシかなあ。レオンハルトは冷蔵庫に言葉と額をこつんと当てた。冷えた扉がもやもやした頭を凪ぎ、心地よさに眠気を誘われる。
と、微睡んでいたレオンハルトの目に、腰下で頼りなげに揺れる紙片が映り込んだ。
「もっとでっけェ紙を使えよ、バカ」

 今日は外で食べてきます。
 ゆっくり休んで下さい。

 小さな紙に記された二文をゆっくりと読み返した。それから伸びをして、欠伸を一つを落とし食材を分け始める。
 レオンハルトは笑う。「きったねェ字」そして掠れた声を出す。
「今日は、じゃねェだろうよ」
 駐輪場で出会った彼らとヤトは十近く違うのかもしれない。しかしもし、行きつけの市場に皆を集めたとしたら、ヤトが一番つたなく幼く映るのだろう。
「あいつらみたいな弟は欲しかったけど、こんなに手の掛かる弟は勘弁だなァ」
 うん、間違いねェ、と一人頷いて、レオンハルトはこの有り余る食材をどうするか悩み始めた。
 直後、電話が鳴った。

 電話口で場所を聞いたレオンハルトは、随分中央から離れた場所でやるんだなあとの感想を率直に相手に伝えた。
『はい。駐輪場にいた二番目に背のでかいやつ、あいつのカミさんが店をやっているそうで』
 持ち込みしてもよくて、安く旨く気楽に飲めるらしいんですよ、と答える彼にふうんと返しつつ、レオンハルトはこいつはあの中で一番ちっちゃかった奴かと顔を思い浮かべる。
 住所だけでわかりますか、と気遣う彼に「地図見ながら行くし大丈夫」と答えて時間を復唱し、こちらから電話を切った。開始時刻は夜勤と当直以外の者であれば参加できる無難な時間だった。そしてそれはヤトの勤務が終わる時間でもある。
 最近は互いの勤務が合わず、作り置きしても味の落ちないものしか用意できなかった。もしかしたら、それがヤト少将殿のお気に召さないのかもしれない。そんなことを考えながら当直中こっそりと記した買い物メモには生鮮食品の名前がずらりと並び、勇んでメモの通りに購入した結果がこのありさまである。
 それなりの部下を抱え、そこそこの責任を負うなかなか忙しい立場の二人にとって、揃って温かい作り立ての料理を囲む機会は貴重だ。ヤトが夕食を外で摂ったとしても夜食として振舞うことはできたはずだ。
 それが自分の大人げない態度でと、レオンハルトは心底情けない気持ちになった。
「ホント、格好悪ィなあ、オレ。お似合いだってわかってんのによ……」

 職場へ復帰してから数日後、レオンハルトは本部付近であのひと──クラウスの未来の伴侶とばったり遭遇してしまった。柱の陰に隠れて息を潜めてみたものの、背がむずむずするような決まりの悪さに辟易した。
 彼女は弱り顔で周囲を見回していた。心臓が締め付けられるのを感じたけれど、助けを必要としているのだろう姿を見て見ぬ振りすることは、己の矜持が許さなかった。
「あの、スンマセン、司令に御用ですか?」
 そっと近付き腰を屈めて尋ねると、小柄な彼女はふひ! と妙な声を上げ、手に抱えていた荷物を落とした。
「あ! やべェ! マジ悪ィ!」
「大丈夫ですからホントに平気です!」
 叫ぶ彼女はレオンハルト以上に慌てていた。わたわたと二人で取り合うように荷物を拾い合う最中、レオンハルトの目が深緑色の箱から飛び出したものを捉えた。
「あ、の!」
「は、いっ!」
「……それ、食いモン? なんていうやつ?」
 ぱんぱんと、包みの砂を払っていた彼女がレオンハルトを黒く丸い目で見上げた。おっかなびっくり、という様子ではあったけれど、彼女はしゃがんだままのレオンハルトに向き合うとそっと包みを差し出してくれた。
 透明なフィルムに包まれた、ころっとして色鮮やかで艶やかなそれは確かに食べ物のようだ。しかし昨今の色々な料理研究書を読み漁り、その手の蔵書数は御膳署員にも劣らないと自負する己ですらこんなものは記憶にない。
「これは、上生菓子、です」
「ジョウナマガシ?」
 なにそれ。レオンハルトは目を瞬いた。すると彼女はこちらに向かって手を伸ばした。どうやら返して欲しいらしい。
 落胆して手渡すと、空いた掌に十倍以上の重みが載せられた。
「これは落としちゃったので私が責任をもって消化します。全部形が違うので、箱の中から好きなのを選んで下さい。あ、調子に乗って山ほど買っちゃったから一つと言わずたくさん持って行って頂けたらほんとに幸いですむしろ三日以内に食べ切る自信がおありなら箱ごと貰って下さっても構わないですふひひ」
 早口且つ一息で言い切った彼女はこちらの返答を待っているようだった。思わぬ朗報に顔を上げると、彼女が酷く緊張した顔でこちらを見ていた。
 レオンハルトは箱を抱き締め、本当にこれごと貰っていいのか、と念を押した。彼女は目を大きく見開きごくりと唾を飲んだ。それから、丸い顔をほころばせて頷いてくれた。
「あ、言い忘れてた。自分は、シュヴァルツし……クラウス、司令の部下で、レオンハルト・シュテアネ=ゼクス・フローベルガーと言います」
「あ、えと、ご丁寧にありがとうございます。ツバキザカ・アマネです。アマネが名前です。ええと、レオ、レオン?」
「レオで良いよ、嬢ちゃん」
 それからちょくちょく姿を見掛けるようになり、この前の礼ですと互いに食べ物を渡し合うようになって、気が付けば日々の献立を相談する仲になっていた。
 ある日、「リヒトさんとクラウスがね、レオさんには話してもいいって」と彼女の出身地を打ち明けられ、そこで発行されている料理の書籍を渡された。喜々として受け取ったものの表紙の文字らしきものは読み取れず、眺めるだけかなと肩を落とし家に持ち帰った。家で開いて驚いた。インテグラルの公用語が未知の料理の作り方を綴っているではないか。
 表紙裏から紙片が落ちた。幼馴染の字で『アマネちゃんに頼まれて手伝いました。お礼としてココとココとココのやつ宜しく』と書かれていた。クラウスが選んだひとは、万事面倒くさがりの皇帝に翻訳を頼める女傑のようだった。

 レオンハルトはエプロンを身に着けると本を開いた。書かれている食材はインテグラルに無いものばかりだったので、試作してはアマネを訪ね共に食べ比べをした。結果は本の隅に順次書き残しておいた。
 百を超えるレシピを纏めた本は見ているだけでも楽しかった。惜しむらくは、日持ちのする料理があまり載っていないことだろうか。だからここしばらくは当たり障りのない料理を作っていたのだけれど。
「そろそろネタが尽きちまうしなァ。目新しいモンだったらヤトも食いつくんじゃねェかなあ」
 肉料理のページには一際多くの書き込みがあった。何を食べたいか尋ねると一言目に「肉」と答える無邪気な顔が浮かんだ。
「嬢ちゃんに、肉料理の本が欲しい、って頼んでみっかな。みてろよ細くて小っちぇえワガママ少将殿。でっぷりと太らせてやっからな」
 笑いながら手を動かし続けた。作業の合間に時計を見て会場までの移動時間を計算し、レオンハルトはとうとう仮眠を諦めた。