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Nail gun -釘打ち機-


(3)

 考えていたよりもこの飲み会は盛大な集まりであったらしい。三十人近い部下たちの奥、いわゆるお誕生日席という場所に押し込められ、レオンハルトは身動きが取れなくなっていた。ちょっと顔を出したら帰ろうとの目論見は甘かったようだ。
 大荷物を手に現れた上官を彼らは大層歓迎してくれた。荷は半分が酒類で、もう半分はレオンハルトの作った酒に合いそうな料理である。
 幹事は電話をくれた男だった。レオンハルトは彼に、酒は買ったが料理は知り合いがくれたのだ、と珍しく嘘を吐いた。ほくほく顔で受け取ってくれた彼に料理が趣味だということは黙っておいた。なにを作ると知られるよりも料理は照れが先に立ったのだ。
 予定時刻になった。幹事の音頭を皮切りに、貸し切った店が若い男たちの笑い声で溢れ返る。と、パンパンと手を叩いた幹事が、「ごめん! 忘れてた!」と叫ぶ。
「今日の主役の紹介してねえ! おーい! 立っ……立たなくていいやお前座ってて。俺が小っちゃく見えるから」
 幹事関係ないぞ、などという野次の中を背の高い男が進んでくる。
「お前さあ、こういうときくらい髪型整えてきたらどうなのよ」
 見るからに肉付きの薄い男は小突かれよろめいた。あの人と同じ色の髪が揺れた。男は一礼の後口を開いた。
「今季より機科配属になりました、ギフト・シュテアネ=ドライ・ティルピッツ一等兵です。よろしくお願いします」
 一瞬場が静まり返り、どよめく者と野次を飛ばす者で大盛り上がりとなった。レオンハルトはどちらでもなかった。変な声で「うぇっ!?」と叫んだのだ。
「はい、それでは皆さん、もう一度! 何度でも! 高らかに! 乾杯!」
 二度目の乾杯の音頭が叫びを掻き消した。あんぐりと口を開けていたレオンハルトの横に、幹事に連れられて新兵のギフトがやってくる。
「ね、少将。びっくりしたでしょ」
「──バッカ! ビックリなんてもんじゃねェよ! おいオメェまさかあのティルピッツか? てか、ドライ(第三位)のティルピッツなんてオレ一人しか知らねェぞ」
「前年度まで中央行政棟に居たティルピッツ、ということでしたら間違いなく自分のことです」
「まーじで!? おめ、なんでこんなトコ来ちゃったのよ!」
「それは」
 誰もが気になっていたであろう疑問を口にした途端、皆の視線がひとところに集まったのを感じた。たじろいだレオンハルトとは対照的に、視線など気にする様子のないギフトが口を開く。
「貴方に惚れ込んだので」
「ほっ……はあ!?」
 その場はその日一番のどよめきと歓声と野次と口笛とで大いに沸いた。 

 囃し立てる声、お前には勿体無いと非難する声、俺だってと叫ぶ声。そんな喧騒が一段落し、各々が小さな輪を作って飲み始めた頃になってもレオンハルトの隣にはギフトがいた。
 刺さるような視線の嵐の中でも平然としていたこの男は、レオンハルトの広い人脈を紐解いてみても際立って異彩を放つ。熱を孕む頬を手の甲で冷やしつつ尋ねた経歴は、父や知人たちから伝え聞いていた通りだった。
 ギフトはレオンハルトの後輩である。とはいえ顔を合わせたことはない。彼らが学位を取得した最高学府は巨大な施設であったし、専攻も入学年度も異なった。また改めて歳を聞けばレオンハルトの八つ下であるという。
 飛び級を繰り返し、最高学府を首席で卒業したギフトは鳴り物入りで中央行政棟へ籍を置き、僅かな期間で特級官僚となった。
「選民意識がとりわけ高い環境でしたので」
 ギフトが恐縮した様子で言ったけれど、レオンハルトは大きく否定した。彼が奉職していた近年の行政機関は、父の若かりし頃とは違い、家柄がどうのということだけで台頭できるような場所ではなくなっていたはずである。またそうなるように努力してきた人々を、レオンハルトは少なくとも二人、知っている。
「で。えーと?」
 再び顔に熱が集まる気がして、オレに惚れ込んだってどういうことだ、とは言えなかった。しかしそこは元特級官僚で、彼はレオンハルトが言わんとしていることをすべからく汲み取ってくれたらしい。
「昨年度、レオンハルト少将が御参加の魔科機科合同御前演習、自分はその場におりました。少将、自分はあれほどの感銘を受けたことがありません。放たれた質量もその精確さも、本当に素晴らしかったです」
「御前演習? ──ああ、去年のか」
「はい。今年度も拝見したかったのですが立場が変わりましたので」
 至極残念そうに項垂れたギフトを見てレオンハルトは胸を撫で下ろす。去年の演習は実りの多いものだった。父が及第点だなと頬を緩めるくらいの出来である。今年は、思い出すのも恥ずかしい。父が『ちょっとレオ何が起きたか細かく詳しく話してみなさいお父さん気になって眠れない』と電話を寄こすくらいの出来である。ヤトと共に、司令執務室で極大の雷を落とされたのが昨日のことのようだ。
 歳の割に落ち着いた男だなとの印象は、目の前の彼を見ている内に正反対のそれに変わった。ギフトは自身の感動を、身振り手振りを交えつつ前のめりになって語り続けている。
 ずれた眼鏡の奥で熱っぽい目が光っている。ふと最近、良く似た目を見た気がするとレオンハルトは思った。しかしどこの誰だったかはっきりしない。延々と続くギフトの賛辞にこそばゆい気持ちで相槌を打つ間に、レオンハルトが感じた既視感は遠く消えて行った。
 ギフトが太く短いグラスを傾けた。レオンハルトも茶を口にする。そして、ギフトが再び口を開く前に告げる。「そンだけ褒められて嬉しいけどよ」
「オレ、魔力あんまねェんだ」
 ギフトが納得がいかない様子の顔を上げた。眼鏡を直す彼が何かを言う前に制し、レオンハルトは「見せたほうが早ェかな」と呟く。
「おう、オメェ何飲んでんの?」
「は、こちらですが」
 差し出されたグラスは底に少量の液体を残すのみとなっていた。レオンハルトは右手で受け取り、左手で彼の手を掴んで「あれ?」
「う」
 ギフトが呻く。思いの外強く握ってしまったらしい。慌ててグラスに意識を向けたレオンハルトは、目の奥に浮かび見える細々とした記号や数値からグラスを構成するものを除き、液体の成分のみを集め、彼から少しだけ借りた。
 なみなみと酒を湛えたグラスを彼の前に置き、目を見開いている彼へ言う。
「これがオレにできること。他人から魔力を拝借できんの。結構便利だぜ。リヒ……陛下みてェに何でもできるワケじゃねェし、力の相性もあるから使いどころが難しいけどな。オメェとはまあうん、割と合いそうだな」
「割と、ですか。では相性が良いのは、」
「ヤトだ」
 ギフトはグラスとレオンハルトの顔と、重なったままの手の間で忙しなく視線を動かしていた。その間にレオンハルトは再度ギフトの手を握ってみた。
 やっぱ、ちっちェえ。
 一旦離し、緩く指折られた手の内に自分の手を押し込み、強引に広げて掌を合わせる。と、珍しく目算が外れた。二つの手は指の細さと掌の厚み以外に然程変わりがない。
「あの、自分の手が何か」
「──あ、悪ィ。や、手ェちっちぇえなと思ったんだけど」
「自分の手は大きい方だと思いますが」
「だよ、なあ? 忘れてくれ」
 レオンハルトは笑い彼の手を離した。きゅっきゅっと、結んで開いてを繰り返していたギフトが顔を上げ、視線を真っ直ぐレオンハルトと合わせる。
「少将。力の相性が悪いとどうなるのでしょうか?」
「すっ、げえ、気持ち悪くなって動けなくなる。最悪、借してくれたヤツも酷ェことになる。安心しろ。そんなヤツは滅多にいねェから。今ンとこ、幼馴染だけだなァ」
 頷いたギフトが飲み物を差し出した。おうありがとうと受け取ったレオンハルトは彼から次々と質問をされた。
 そうして続けた会話の中で、レオンハルトはギフトが工学への深い造詣も持つことを知った。話はレオンハルトの力に関したことから魔力と機械の合理的融合方法へと進み、無機質からの魔力生成、そもそも魔力とは、などといった事柄へと及んだ。
「顔見て、下らねェ話しながら、料理をつっつくってよぉ……幸せだよな」
 朗らかに笑うと「はい」と返事をしたギフトから飲み物を注がれた。
 レオンハルトは久し振りに得た喜びを堪能していた。ごくりと飲み干したそれが酒だと気付かないくらいに楽しかった。

 * * *

 三時間後、ギフトは大層焦っていた。
「あー、お前に言ってなかったっけ。レオンハルト少将、お酒ダメなんだよ」
 本日の幹事である年下の伍長は赤ら顔で言った。彼は膝の上で眠り込んでいるレオンハルトを揺すり、声を掛け、軽く小突きした後で「こりゃダメだな」とあっさり匙を投げた。
「大変申し訳ないことをしてしまいました。御自宅までお送りして宜しいのでしょうか」
 ギフトが青褪めた顔で伍長にお伺いを立てる。彼は少し考えた後で「ちょっと待ってろ」と言い、背後の皆に向かって声を掛けた。
「おーい、誰かヤト少将の連絡先知ってるかー?」
 酔った男たちが口々に答える。鷹使えばいいんじゃね。いや鷹はマズいだろ。私事でアレ使ったのバレたら司令に怒られるぞ馬鹿。そういえば俺この前久し振りに司令の怒鳴り声聞いた。まじでいつよ。そんな声を背に、ギフトは三時間の内に何度も聞いた名前を反芻する。
「ヤト、少将」
「え? なにお前知らないの? メッチャ有名じゃん」
 伍長が振り向きそんな馬鹿なという顔をする。
「何がでしょうか?」
 しかし軍との縁などなかったギフトにはその名の高さがわからない。呆れた表情の伍長が何かを言い掛けたとき、俺知ってますーとの声が上がった。伍長はその声に「連絡入れてみてくれ」と返し、再びギフトに向き直る。
「小っちゃいけどくっそ強くて冷静で、軍内外の女のコたちから大人気の魔科のモテ男だよ。レオンハルト少将と同期のさ」
「小っちゃい……?」
「伍長ー」
 先程の声の主が腕で大きな丸を作り言う。「繋がりましたー。今から中央駐屯地を出て来て下さるそうでーす」
 お、やった、と笑う伍長がカウンターへと向かう。彼は片付けを始めていた店主とその夫へ何事かを告げた。目を細めて眺めたけれど、ギフトには彼らが頷いたようだということしか分からなかった。
 振り向いた伍長が叫ぶ。
「ティルピッツ一等兵!」
「は!」
「キミここで待機!」
「は……あ」
「ヤト少将殿が来て下さるから後はよろしく!」
 手を振る伍長を先頭に、飲み足りない様子の一同は中央方面へ向かって行った。
 店主夫婦は片付けに追われているらしい。奥の方から食器がぶつかり合う音が聞こえる。貸し切った店内は僅かな照明を残し落とされていた。薄明りの下、ギフトは身動ぎもできずにその人を待った。

 レオンハルトがくしゃみをした。ギフトは脱いだ上着を彼の逞しい肩に掛けた。風で揺れた金色の髪はいつものような尖りがない。整髪料を付けてこなかったらしい。
 案外長いのだな。
 刈り上げられた部分を隠す柔らかな髪を見て思う。
 レオンハルトがもぞと動いた。少将、と声を掛けたギフトは腰に腕を回された。
「んー、ヤトー? なんかでっかくなってねェ?」
「違いますレオンハルト少将。自分は」
「でっかいのはいいけどよォー、細ェよー。もっと食えよォ。オレのメシ、まずいんかー?」
 太い腕に締め上げられ息が詰まった。安堵したのは間違いだったようだ。
 静かに、寝ていて下さった方が、ずっと良かった。
 ギフトは心中で嘆きつつ、自分をヤト少将と勘違いしているらしい彼の話に付き合うと決めた。
「少将は、料理もなさるのですか? お話しを伺うに多趣味なのですね」
「何でも手ェ動かして作るの好きだー。でもよぉ、オメェあんまり食ってくれねェんだもん。つまんねェよー」
「毎日作っていらっしゃるのですか?」
「うん。オメェがいねぇ日もいちおー作ってるー。ハラ減ってたらオメェ、動けねェだろー?」
「レオンハルト少将もご多忙でしょうに」 
「あ? バッカ!」
「ぐ、っふ」
 横腹に手刀が叩き込まれた。彼としては軽くのつもりだったのだろうけれど、周りの誰と比べても頼りないこの体には手厳しすぎる仕打ちである。
「そういう声出すンじゃあねぇってー! オレは料理も洗濯も好きなの! 掃……除はあンま好きじゃねェけどオメェの部屋は物なさ過ぎてすぐ終わって気分イイから結構好きなの! 遠慮されンの嫌なの! 昔っから弟に世話焼いたりすンのしてみたかったの! だからァ──あー、思い出したァ。オメェだったんかー」
「はい」
 自分はティルピッツです、と答えようとしたギフトは言葉を失った。
「なー、ヤトー。何して欲しいか言えよー。オレにできることならしてやりてェよー。オメェの……すき、に、応えられるかだってよォ、もっと一緒にいなきゃ判断もできねェだろうがよぉー。オメェのよー、なんか言いたげな目ェ見てっとよー、なんだか……胸が、苦しくなるんだよ……」
 彼は遠慮がちに、探るような加減でギフトの腰を抱き締めた。
 腹に押し当てられた頭が角度を変えた。見えなかった表情が薄明かりで照らされ、彫りの深い顔立ちを細い光が彩った。つつ、と、目頭からまなじりに向かって鉱石のような輝きが滑り落ちた。彼の肩が微かに揺らいだようにも見えた。
 そう、だったのですか。
 ギフトは広い背中に手を寄せ、長身を屈めて静かに尋ねた。
「レオンハルト少将、お二人は」

「お待たせしました」
 気配無く現れた声に驚きギフトは身を反らせた。すぐ傍に、僅かに息を上げ、顎の下を拭う小柄な男がいる。顔は逆光で見えない。ギフトはあまり目が良くないのだ。
 彼は一礼すると腕を伸ばし、ギフトの膝の上のレオンハルトを軽々と抱き上げた。そこでやっと顔が見えた。
(御前演習のとき、レオンハルト少将の陰になっていたこの人が……ヤト少将か)
 確かに小柄である。レオンハルトよりも頭一つ近く、ギフトよりも二つ分程背が低い。酷く無造作に髪を遊ばせている彼を見上げて、あのときは噴煙の中でも乱れていなかったな、とギフトは思い出す。
 彼は片腕でレオンハルトを抱えたままマネークリップを取り出し、ぼんやりとしていたギフトへ差し出し言った。
「足りなければ後日レオに請求して下さい」
 ギフトはクリップごと渡された大金を口を開けて眺めた。それから「では」という声で我に返り慌てて立ち上がった。
「申し遅れました。自分は今季より機科配属になりました、ギフト・シュテアネ=ドライ・ティルピッツ一等兵です」
「ご丁寧にどうも。魔科のヤトです」
 短く答えたヤトが立ち去ろうとする。ギフトは一層慌てて呼び止める。「ヤト少将」
「はい?」
「去年の演習を拝見しておりました。レオンハルト少将とのご活躍、大変素晴らしかったです」
「はあ、どうも」
「レオンハルト少将に、」
 ギフトはその先を続けるべきかどうか迷った。一兵卒が上官に物申して許されるのか、ということではない。敬愛する上官のプライベートに立ち入るべきか否か、という点が問題だった。
 戦場の空気を嗅いだことのないギフトには殺気がどういうものなのかわからない。ただ、ヤトからうっすらと立ち上る魔力が揺らめき肌を刺し、牽制の色を成していることは見て取れた。
 けれど。
(おれは見てしまった。いつも笑い、おれたちを叱り、その倍は励まし褒めてくれる、敬慕してやまない少将の目に光ったものを、おれだけが)
 だからここで引くことはできない。
 ギフトは腹を決め、今にも出て行きそうなヤトを逃がさぬよう出入口前に陣取った。そうして二歩後ろに下がり背筋を伸ばし、小柄な彼を見据えた。
「おい、あなた」
 眇めた目に捉えられた途端ぞわりと肌が粟立ったけれど、ここは議場だ、と己に言い聞かせるとすぐに平静を取り戻すことができた。腹黒狸たちを相手取って丁々発止を繰り広げた日々は、どうやら今後も役に立ちそうである。
「ヤト少将。自分はレオンハルト少将に憧れ、思い募って軍に参りました。が、先程相性が良いのは誰かとお聞きしたところ、迷いなく貴方だと仰いました。残念ながら、自分では器量が足りないようです。レオンハルト少将のお料理、是非ご一緒に召し上がって下さい。お二人で顔を合わせて話し合って下さい。もう少将に、あんな顔をさせないで下さい。失礼します」
 ギフトは視線を逸らさず抑揚を控えた声で伝え、綺麗に一礼をしその場を離れた。
 カウンターの前では、皿洗いの手を止めた店主が頬を染めて熱い視線を投げて寄越した。自分の背後に向けられたであろうそれを無視しギフトは歩みを速めた。
(余計なことかどうかを判断するのはおれじゃない。互いに雫を目から、毛先から落とすくらいに気に掛けていらっしゃるのだ。おれ如き青二才の起こす嵐など、難なく背で受け止めて下さるだろう。大丈夫……だいじょうぶ、かなあ)
 ぐるぐると思考を巡らせつつ洗面所へと向かう。
 個室のドアを開けたところで緊張の糸が切れた。便座にずるりともたれ掛かり、短く熱い息を吐き出した。
「頑張った、おれ。あんっなに怖い人、行政棟でも見たことない」

 冷や汗を拭い呼吸を整えたギフトは柱の陰から店内を見渡した。既に彼らの姿はなく、代わりに店主の夫がやってきて、青褪めているギフトに冷茶を出してくれた。
「ギフト君お疲れ。やっぱり怒ってたね」
「は。あの、やっぱりとは?」
「ああ。大戦後の宴席で、貴族上がりの中将殿がレオンハルト少将に無理やり酒を勧めたんだよ。隣にいたヤト少将が代わりに飲むって仰ったんだけど、中将殿は聞く耳持たなくてね。レオンハルト少将、次の日フラフラでお仕事なさってて。それを見たヤト少将、中将殿を陛下の宮殿まで引っ張ってってさあ。『部下を次の日使い物にならねーくらい酔わせる馬鹿は軍にいらねーと思います』って直訴して、大笑いする陛下の許可を得て宮殿の端から中将殿を蹴り落としたんだ。あ、遠ーくまで飛んでった中将殿、かなり反省したらしくてさ。今は良い酒の飲み方をなさるから安心しろよ。いやーいい笑い話になったよなあ」
「蹴り……お言葉を返すようですがそれは、最初に耳に入れて下さるべき重要な情報ではないでしょうか……」
「あはは。伍長にも俺たちにももちろん君にも悪気はなかったし、大丈夫大丈夫」
「は……」
 ダメだ。だいじょばない。おれ死んだ。
 項垂れたギフトは腕時計を確認した。ふと違和感を感じ、壊れたのだろうかと思い腕から外そうとした。ギフトの電話が鳴った。伍長からだった。まだ飲めるなら寮近くの居酒屋にいるから来い、とのことだった。そこまでどれくらいかかりますかと尋ねた。
「車で三十分! 頑張って来いよー!」
 腕時計は壊れていなかった。ヤト少将がここへ来たのは二十分前だった。