俺はこの一発に勝負を懸ける。


開発(前)


 昨日の曇り模様から一転し、青空広がる帝国インテグラル。気温も昨日より高く、予報によれば、軽く汗ばむ陽気となるでしょう、とのことだ。汗は新緑の香りを纏った風が宥めてくれるだろう。本日は誰もが認める絶好の外出日和である。
 地表付近をすました顔で通り過ぎていく風は、上空では強い足取りで四方を駆け巡っていた。田園地帯から都市方面へと足を伸ばしたそれが、建物の一角に備えられた小型の機械を揺らした。じじ、と音を立て機械が首を振る。それは風を睨み付け、そこに異常がないことを確認し、顔を元に戻した。
 物言わぬかれらの居場所は様々だ。治安が悪い街角、独居の老人宅の玄関の上、大貴族の家の柱。目的は異なれど、かれらは毎日決められた範囲をくまなく記録し続けている。そんなかれらの一台は今日もとある店内で働いていた。

 背の高い黒髪の男性が整髪料を手にしている。眼鏡を直しつつ、一つ手にしては棚に戻しを繰り返し、合間合間にカバンの中を確認している。カバンを拡大してみると、中には一枚の写真があるきりで、店内の未精算品が入っている様子はない。写真は金色の髪の男性を写したもののようである。何事かを呟いた男性は、足元に置かれていたカゴに整髪料を入れ始める。拡大し確認するとその数十八。この店に並んでいる男性用整髪料全種類である。カゴを手に満足そうに歩き出した男性が、精算所へ向けていた視線を奥へと移し止まる。しばし硬直していた男性が、怪しげな忍び足で動き出す。と、弾かれたように止まりカゴを落とす。男性は綺麗な敬礼を行い、カゴをそのままに奥へと歩き出す。

 女性が化粧品を眺めている。棚と比較するに、かなり小柄な女性のようである。液状のファンデーションを手に付けていた女性が視線を奥に移す。何事かを叫ぼうとして慌てて口を押さえ、鏡に向かって百面相を始める。化粧の崩れを確認している様子である。様々な角度から念入りに確認していた女性が奥へと歩き出す。しばし女性の姿が消える。女性が泣きながら走り去る姿が一瞬だけ映る。

 こちらも女性である。黒髪黒目ということ以外取り立てて目立つところはない。目的のものが決まっていないのか、通路を順に巡っている様子である。奥の通路へ入ろうとした女性の歩みが止まる。女性へ黒髪の男性が歩み寄る。男性の手にはカゴがある。連れ合いのようであるらしい。男性もまた奥を見てしばし止まり、女性と頷き合い揃ってその通路を避けて進んでいく。

 奥から小柄な男性が現れる。カゴには小さな箱やチューブ状の何かが入っている様子であるが、体に隠れて商品名は確認できない。途中菓子コーナーで止まり、新商品を全種類カゴに入れる。堂々とした足取りで精算所へ向かう。その後ろを背の高い男性が追う。カゴは手にしていない。小柄な男性が精算を終える。揃って店を去る。

 ここまで記録したかれは従業員へ向けて連絡を行った。
『二十番通路ニ未精算品放置。購入ノ意思無シト思ワレル。返却ノコト』
 すぐに従業員より了解の返答があった。かれは再び仕事へと戻った。

* * *

 ヤトは紙袋を開き中から菓子を取り出した。棒状のパフをチョコレートが包むこの菓子はヤトお気に入りの一品である。新製品と銘打たれ並べられていたこれは、パフの量を減らし増量したチョコをホワイトチョコに変更したもののようだ。
 袋の先を魔力で切ったヤトは、大きな白い棒を頬張りながら隣の男に話し掛けた。
「無理をお願いしてすみませんティルピッツ一等兵」
「いえ、滅相もございません」
 彼は何やら緊張しているらしい。ヤトは彼に紙袋を向ける。
「あなたも食べますか?」
 お好きなのどうぞ、と言った直後、中からチューブが顔を出した。ごろりと落ちかけたそれは、両手の塞がったヤトが魔力で止める前に、素晴らしい反応を見せた彼によって紙袋の奥へと押し込められた。
「お気持ちだけ頂きますありがとうございますヤト少将」
「そうですか。いい反応ですね」
「は」
 ヤトも無理には勧めない。人には好き嫌いがあるのだ。二つ目をもぐもぐと頬張りつつ、ヤトは軽快な足取りで目的地を目指した。
 隣を背を丸めるようにして歩く男、ギフト・シュテアネ=ドライ・ティルピッツのことをヤトは嫌いではない。もちろん当初の印象はあまり良くない、というか、抹殺リストの上位に食い込むくらいだった。けれど、レオンハルトが自分を好きだと実感できている今のヤトにとってそんな昔のことはどうでもよかった。ヤトは根に持たない性分なのだ。
 先日の【淵】にも、ヤトはクラウスに対しギフトを参加させるよう進言した。お前があれを知っているのか、と驚いたクラウスにヤトは頷き答えた。「怒ってる俺の目を見て話せる根性のある奴です。体力云々は後々どうにでもなる、ってか気長に見るとして、長所はさっさと伸ばし切りましょう」クラウスはヤトの言葉にまた驚いた様子だったけれど、珍しく声を上げて笑い二つ返事で了承した。
 その折にヤトはギフトの経歴を聞いていた。ドライ(第三位)が表す通りゼクス(第六位)のレオンハルトよりも家柄的には上位の貴族であること、中央行政棟で有能な官僚として奉職していたこと、それから魔動製品の研究と開発に深く関わっていたことなどである。
 そんなギフトに今日あの場で会えたことはヤトにとって僥倖だった。駄目で元々のつもりで相談したヤトは、五分ほど悩んでいたギフトから「同意の上ですか」と質問された。誰との何とは言われなかったけれど、ヤトは「はい」と答えた。「良かった」とギフトは笑い、ヤトの予想を裏切って了承してくれた。こうしてヤトが欲しいと考えていたものは、思っていたよりも穏便に入手できる運びとなったのである。

「ヤト少将、こちらからどうぞ」
「わかりました」
 研究所の裏口へと案内されたヤトはギフトの後ろに付いて歩いた。いくら歩けど人に会わず、ヤトは「人、少ねーんですね」との感想を告げた。扉の前で立ち止まったギフトが振り向き頷いた。
「はい。近年は工業化が進みまして、ここで働いている人間は殆どが研究者です。皆研究室に籠りきりですので」
「成程」
「少将、こちらへどうぞ」
 お邪魔しますと呟き入った室内にもやはり人はいない。頭上の監視器具も動く気配がない。入室前にギフトが何かしら工作をしたのだろう。
 ギフトは棚の隙間を縫うように進んだ。ヤトは彼を追いつつ棚に置かれた物品を横目で見た。筒がたくさん飛び出した機械、丸くて大きくて白っぽい物体、小さなネジのように見えるもの。どれもヤトには使い道が想像できない。
(レオが見たらめちゃ喜びそうだなー)
 ギフトが立ち止まり『持ち出し禁止』と書かれた棚の引き戸に手をかざした。ここにヤトが欲したものが収められているらしい。
「少将、再度確認します」
「はい」
 ギフトは小さな黒い箱を開き中を探っていた。青白い手がフィルムに覆われた透明な物体を摘まみ出した。十個が連なったそれは、ひとつの大きさがギフトの小指の先くらいだとわかった。
「えー、少将は、こちらを用いて、えー」
「はい。レオと安全で快適なセックスをしようと思っています」
「……了解しました。使い方はご存じでしょうか?」
「フィルムを剥がす。いっこ摘む。魔力を入れる。ケツに入れる」
「…………その、とおりです。一応これは認可前なのですが」
「まあそこは色々とありまして」
 存在は知っているが使ったことはない、と伝えると、ギフトははあ、と疲れた声を出した。「機密ってどこから漏れるんでしょうかね」呟くギフトからヤトはそれを受け取る。「案外近くじゃないですかね」ヤトは答えつつ、色々な角度から眺め傷や劣化のないことを確認し、大切に箱に納め紙袋に入れる。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
 ヤトはギフトへ心から礼を伝えた。これは発覚すれば二人とも無職確定有罪決定の違法行為である。無論ヤトもギフトが無理だと言えば諦め、もう少し罪状が上乗せされそうな方法をとるつもりだった。
 ヤトの礼へ緩く頭を振ったギフトが言う。
「最後に注意点です。挿、肛してから効果が現れるまでおよそ十五分掛かります。その間の排泄、直腸内への挿入は厳禁です」
「はい」
「それと、レオンハルト少将はお得意だと思うので問題ないかと思いますが、これへ魔力を注入する際は少々細かな調整が必要です。魔力が多すぎれば砕けますし、少なすぎれば効果が出ません。また効果の持続時間は魔力注入後三時間です。透明なカプセルが箱と同じ色になるよう、明るいところで準備をお願いします」
「わかりました。丁寧にありがとうございます」
「はい。何かご不明な点はございませんか?」
 ギフトが姿勢を正す。少し考えたヤトはひとつだけ、とギフトに言った。
「これってレオが魔力入れなきゃダメですか?」
「は? ああ、ええと、いえ、どちらが魔力を注入なさっても問題ありません。ただええとその、行為の流れから察するに、挿、入なさる方がご用意するほうが自然かと」
「ああ、なんだ。そういうことですか。じゃあ俺でいいですね」
「えっ?」
「えっ?」



 出勤するレオンハルトを濃厚なキスで見送ったヤトはさて、と思案した。あれから何やら困惑していたギフトは、数か月以内に認可される予定であると言い残し頭を押さえつつ立ち去った。お大事にと声を掛けたが反応がなかった。ともかく、認可目前の段階にあるのなら重大な副作用などはないのだろう。
「でもなー。万一ってこともあるしなー」
 ヤトはどうするか悩んだ。正式な販売までまだ日はある。これは十個しかない。ギフトに言えばまた入手できるだろうけれど、清廉潔白そうな彼をこれ以上犯罪に巻き込むのは気が引けた。悩んで悩んで結局試すことにした。致せるだろう数よりも、レオンハルトに安心安全をお届けする方がずっと大事に決まっている。
 ヤトはフィルムを剥がし、先端の細った透明なカプセルを指で摘んだ。そしてギフトから言われた通り、細心の注意を払って箱と見比べつつ魔力を注入した。
「おー、すげー。ホントに真っ黒になるのな」
 ちょっとした感動を味わいつつヤトは尻を半分出した。紙袋から出しておいたチューブからローションを捻り出し、黒いそれの先端に少量塗り付け、上半身を捻り孔にあてがい、躊躇なく第二関節まで埋めた。指を抜き手を洗い暫く待った。腹痛などはない。
「──うお。あー、成程」
 きっかり十五分後、下腹部がすっきりとしたのがわかった。再度指を入れる。今度は中指を可能な限り奥まで入れて確認する。本日排泄していないヤトの直腸内はすっかりと空になっていた。
 こういうことかと納得し服を戻そうとして、ヤトは下半身の変化に気が付いた。息子が元気なご様子である。箱の注意書きを見てみると『男性の方は一時的に勃起することがあります』とある。運動不足の貴族向け便座薬として開発されたらしいので、一応副作用ということになるのだろうか。
 一時的なら放っておけば治るだろう。そう判断し服を着用しようと下着に手を掛けた。
「ヤト悪ィ! そこにある書類とっ」
 仕事に行ったはずのレオンハルトと目が合った。ヤトは無言で首を振った。
「あの……ごめん。マジごめん。ご……」
 ごゆっくり、と言い残し、最愛のひとは書類を手に戻っていった。ヤトは無言で崩れ落ちた。
「何で俺、リビングで試したの……」
 暗くなり始めた部屋の中、ヤトの息子だけが元気に輝いていた。