俺はこの一発に勝負を懸ける。


開発(中)


 冷蔵庫にあったレオンハルトの愛情ご飯はいつもより塩気が多く感じられた。鼻を啜りつつ食べ終えて、最近できるようになった『食器を水に浸けておく』というミッションをこなし、珍しく酒も飲まずに冷たいベッドに潜り込んだ。
 翌朝のヤトはレオンハルトの夜勤明けを待たずに出勤した。常連である食堂へ向かい、この時間は必ず居る老署員に挨拶をする。まだ朝食にも早い時間だからか、広い食堂内にはヤトを含め片手程の客しかいない。カウンター近くに席を決め、今日は何を食べようかと考えたところで「ぶっ、はーははは!」と空気が震えた。顔を上げるとカウンターの中で老署員が顔を皺くちゃにして笑い転げている。
「シケたツラしてんなあ! ええ? 噂のおチビ少将よ」
「噂?」
 ヤトは首を傾げつつ日替わり定食三人前を注文した。老職員がひいひいと笑いながら頷く。それから背後に向かって「半人前ども日替わりだ! イロ付けとけ!」と叫び、再びヤトに向き直る。
「おチビがえらく真剣な目でナニを選んでよ、しこたま買い込んでたってよ。っぶ、ふ」
 女どもの悲鳴がかしましいったらありゃしねえ。相手はどこのどいつだ、離婚したなら私にも、ってよ。儂にもしつこく探りを入れてきやがるから、あんなおチビにも一応選ぶ権利があらあと言ったらよ、あろうことか儂に匙投げつけてきやがったぞあの糞アマども。金輪際あいつらにはメシ出さねえ。出禁だ出禁。儂にも覚えがあるからなあ、浮かれるのもわかるがよ。
「もう少しうまくやれやおチビ」
 そう締め括られた目尻に涙を溜めた老署員のぼやきを、ヤトはげんなりとして聞いていた。
「そんなことも噂になるんですか。めんどくせーな。忠告ありがとうございます」
 頭を下げ去ろうとしたヤトを小さな音が止めた。老署員がカウンターを指先で叩いている。
「ここで食え」
 ヤトは珍しいなと思いながらも素直に応じた。近くから椅子を引き寄せ座ったヤトの前に茶と大盛りの惣菜が出された。奢りだというそれをありがたく頬張りつつ老署員の話を待つ。
「噂なんざ暫くすりゃあ治まるだろうさ。それにまあ、おチビの方はどんな女どもが来ても靡かんだろう? とんでもねぇ上玉手に入れやがって」
 ヤトは咀嚼を止めた。笑う老署員を細めた目で射貫く。老署員は微塵もたじろがない。カウンターの奥から声が掛かる。「御膳署長、出来上がりました!」老署員が振り返り叫ぶ。
「ばっきゃろい! だから何で儂に言うんだよ! ここに客がいるだろうが! それともチビ過ぎて見えねぇってか?」
「ああ、すみません。ここに居ます」
 ヤトは立ち上がり手を出した。涙目の署員が謝りながら差し出した日替わり定食は魚介がメインのようだ。席に着き、手を付ける前に再度老署員を見る。老署員は笑っている。その目からはクラウスと同じような感情が見て取れ、ヤトは瞬きし心身の力を抜いた。あなただけですか、と尋ねると、老署員は目で肯定した。肉や野菜を手元に寄せつつ老署員が言う。「ここに立ってるとな、おチビ」
「はい」
「色々見えるのよ。名前も知らねえ貴族どもの下種な考えも、若い女の報われない恋心ってやつもよ。下の毛も生えてねえ、貧相なガキの頃から知ってるおチビのことなんざ、言わずもがなだ」
「はい」
「おチビよ、小獅子の前では形振り構うな。大袈裟位に大切にしろ。見えねえだけで狙ってる奴は多いぞ。大抵が鬼将軍を恐れて引っ込んでるがよ」
「はい。って、そうなんですか? 狙ってる奴いるの?」
 あんなこえーのの、って知ってて手出すの俺くらいだと思ってました。そう驚くヤトに、動かしていた手を止め老署員が眉を上げる。
「ああ? おチビ知らねえのか。そうか……ぶふっ」
「ちょっと、笑ってねーで教えて下さいよ」
「もうちっと出世したら教えてやらあ。精々悶々としやがれ」
「今の言葉、忘れねーで下さいね」
 がっはっはと笑う老署員が空になった皿を下げ、代わりにどんと大皿を置く。
「目一杯食って頑張れや」
「ありがとうございます」
 儂も食いてえなあと笑う老署員を睨み付け、ヤトはもう一度ありがとうございますと告げた。

 司令本部で協議した結果、近々再度【淵】へ赴くことが決まった。今度の隊は新兵を鍛える編成ではない。殲滅を目的とした人選で臨む。円卓で宣言したクラウスは、ヤト始め魔科と機科の精鋭たちの名前を次々と挙げた。しかしそこにレオンハルトの名前はない。すぐさま同席していた機科の中将から意義が申し立てられた。この目的でレオンハルト少将を加えないのはなぜだと彼は言った。ヤトも同意しクラウスを見る。クラウスが顎の下で手を組み口を開く。
「レオンハルト少将は待機だ。変更はない」
 緊迫した空気が流れたものの結局は中将が折れた。理由も言わぬ司令への不満は上らなかった。クラウスが軍の、部下達の不利益になることをしないと誰もが信じているからである。
「出立は十日後。選抜者には本日中に【鷹】で連絡をする。準備を怠らないように」
 澄んだ目で円卓を眺めるクラウスへ皆が敬礼を返した。ヤトも敬礼しつつ思う。
(それまでに一回はしてーな)



「おう、お帰り。お疲れさん」
「戻りました。レオもお疲れ様です」
 歩み寄りキスを軽いキスをしたヤトを、エプロンを付けたレオンハルトは頬を染めて受け入れた。
「っあー、あの、よ」
「ああ、ええとですね……それに関しては食後きちんと説明します」
 顔を真っ赤にしてあうあうと口籠るレオンハルトにもう一度キスをして「だから風呂借りますね」とヤトは言った。昔馴染みからありがたい忠告を受けたヤトは、自分の面恥を悔いたり格好をつけるのは後回しとし、誠意と性意をもってレオンハルトに接しようと決めたのである。
 レオンハルトからは柑橘系の香りがしていた。最近買ったボディーソープをもこもこに泡立てつつ、同じ香りがするっていいなとヤトは思った。上機嫌で念入りに息子を洗い上げた。
 今日の献立は甘いクリームが挟まれた焼き菓子で締められた。これくらいなら大丈夫か、と尋ねるレオンハルトへ頷いて返し、ヤトは豪快に齧り付いた。
「これはふわふわだから大丈夫ですよ。うめー」
「そっか。この前出したのはもっと柔らかかったもんな。ケド意外だったなあ。オメェにも苦手な食べ物ってあんのな」
 呟きながらレオンハルトはノートにメモを取っていた。片付けの終わった彼に聞くとヤト専用のレシピ集であるらしい。ありがとう、大好きですと伝えると、レオンハルトは照れながらクリームよりも甘いものをくれた。
「ん」
「ごちそうさまでした。では、いただきます」
 ぬるつくキスを繰り返し絡めた指を引いた。そのままベッドに連れていこうと立ち上がったヤトを、レオンハルトの物言いたげな目が引き留めた。ヤトは行先をソファへ変えレオンハルトを膝の上に乗せて尋ねた。
「ここで話した方がいいですか?」
「あ? あ、そうか。や、それもだケド」
 ヤトの肩に顎を置きレオンハルトがぽそりと呟く。「あの、オレ、オメェに抱えられていく方が、好き」
「あー、あなたは全くもう」
 ぎゅうと抱き締め頬に口付ける。「俺の骨を何本抜くつもりですか」
 首筋に口を移し強く吸いあげると身を震わせたレオンハルトに縋りつかれた。軽く歯を立て、鎖骨を舐めて吸い上げる。
「あ」
「これ好き?」
 こくと肯うレオンハルトの後頭部に手を添え、首と耳を繋ぐ筋を音を立てて舐めて吸った。
「あのとき、俺ね」
「ふ、ぅん」
「レオに使いたいなと思ったものを自分で試してました」
「つかいた、い?」
「うん。ここ」
「あ、や、っ」
 ヤトは背中に回していた手を腿へ這わせ、内側を撫でて更に奥の肉に触れた。
「怖くも汚くもないように、準備しました」
 孔の縁を掠めつつ指で尾骨を弄り、もっちりとした臀部の肉を揉む。ヤトは腕に当たるレオンハルトの雄へ急速に血液が集まるのを感じた。背中を丸めて喘ぐレオンハルトの唇を啄み、かわいいと何度も告げた。
「だから今日は触りてーです。ダメ?」
 ヤトが啄んでいた唇が薄く開き左右に揺れた。大好きなひとの望むまま、大切に抱え上げたヤトは自室へと移動した。

 ヤトの部屋は非常にシンプルだ。レオンハルトが言うには、打ちっぱなしのコンクリート壁も相まって寒々しさすら感じさせるらしい。「だから扉くらい付けようぜ」腕の中の彼が嘆息したけれど、おいしい匂いとかわいい姿が寝たままでも楽しめる現状を変える気はなかった。
 ベッドにレオンハルトを下ろしたヤトはサイドボードにしまっておいたものを袋ごと取り出した。振り返りベッドを見ると、レオンハルトが背筋を伸ばして座っている。
「見ます?」
「見る」
 レオンハルトの真剣な表情にヤトは笑いを誘われた。レオンハルトはむうと口を曲げた。
「だってよ、気になるじゃねェかよ」
「そうですよねごめんなさい」
 ヤトもベッドに腰掛けた。そして袋の口を開き、布団の上に中身を広げた。
「これは?」
「コンドームですね」
「これは?」
「それもコンドームですね」
「……これも?」
「はい、コンドームです」
「コンドームってそんなにいんの!?」
 カラフルな箱、シックな箱、それらを纏めて握り締めたレオンハルトが大声を上げる。ヤトは笑って否定した。
「いや、俺も使うの久々なんで、どれがいいかわからなくて」
「ひさ……ああ、そっか」
 と、レオンハルトがしゅんとした。ヤトは自分の言葉を反芻し、慌てて二の句を継ぐ。
「レオ、違います。そういう意味じゃねーです」
「どういう意味だっつの。オメェは結婚、してたし、そりゃ」
「だから違うっての。俺してねーって」
「あ?」
「俺は」
 ヤトは言い淀んだ。彼にどう伝えるのが正解なのだろう。
(言わないほうがいいのか。でも)
 レオンハルトは不安げにヤトを見ている。彼に誤解はさせたくない。けれど嫌われたくもない。
(レオは待つって言ってくれた。だから……もう少し、甘えさせて下さい)
 ヤトはレオンハルトの手に触れた。レオンハルトはまだ箱を握り締めている。
「元嫁だった人には一切手出してねーです。というか、俺軍属してから誰かとセックスしてねーですよ」
「んなワケ」
「あるの。あるんです本当です」
 ヤトは嘘も本当のことも言わないよう懸命に言葉を選んだ。どうやら自分は軍内で「入れ食い」だとか「一回ヤったらポイ」だとか言われているらしい。繰り返すけれど、ヤトは皇軍一燃費が悪い男なのである。呪われた身体だけれど、今日はそれを大いに利用させてもらうとしよう。
「一回のセックスで動けなくなるのに、そんなしょっちゅう腰振ってるわけにいかねーでしょ? 特にあの頃はいつ招集があるかわからねーってのに」
「ああ……そうか。そうだよな」
 勤務外の招集が珍しいって感じるようになったのはいつからだろうな。呟いたレオンハルトがゆっくりと瞼を閉じた。長い睫毛が影を落としたのを見てヤトも目を閉じた。どちらからともなく先帝陛下の名を音にした。レオンハルトが祈りの言葉を紡ぐ間、ヤトは遠い日のことを思った。胸の傷が熱を帯びたように感じた。
 そっと目を開くと穏やかな顔をしたレオンハルトと視線が絡んだ。ヤトは続けた。
「ヤったことがないとは言いません。けど、俺あなたに惚れてからは一度もしてねーからね?」
「惚れた、って、いつ」
 レオンハルトが恥ずかしげに俯いた。そういえば自分はちゃんと伝えていただろうか。
「言ってませんでしたっけ? 俺が十八、レオが二十歳のときの魔科機科合同御前演習で惚れました」
「は、あ!?」がばっと顔を上げたレオンハルトがヤトの肩を揺さぶりながら叫ぶ。「おめ、バッカ! もっと早く言えよ! そしたら──」
「そしたら? なに?」
 暗い嫉妬が顔を出す。そうしていたら、あなたはクラウスに恋なんかしなかったのか。口をついて出そうだった言葉を飲み込み、虫が良すぎるだろう、とヤトは自嘲した。常に逃げることを考えていた自分にそんなことを言う権利などない。
「ごめんなさい、忘れて」
「……オメェよお」
「はい」
 すぱん、と頭を叩かれた。いてっと顔を顰めたヤトは、レオンハルトの顔が自分以上に苦い顔をしていると気付いた。
「オメェの悪ィとこ。オレも似たとこあっけどよ、何でもかんでも自己完結すんじゃねェ。言いたいことは言え。オレ、そんなに物分かりが悪いように見えんの?」
「……いえ」
「これから一生そんなじゃ困る。頼むぜ大黒柱」
 ちゅっと頬にキスされて、ヤトはへろりとレオンハルトにもたれ掛かった。「あなたさあ」
「なンだよ」
「それ以上カッコよくならねーで。俺もう限界」
「たまには人生の先輩風ってヤツ、吹かさせろよ。今じゃねェと……オメェすぐ先行くんだもんよ」
 レオンハルトがもう一度頬に口を寄せた。ヤトは顔を動かして唇で唇を受け止めた。
「俺、メチャクチャ嫉妬深いです。クラウスにも妬くし、機科のお坊ちゃんにも、食堂の爺さんにも妬きます」
「うん。え、ジイさんて誰よ」
「レオ、俺、あなたが好きすぎてやべーです」
 ヤトはレオンハルトを強く抱き締め「教えて、続き」と願った。レオンハルトはヤトを抱き締め返し笑って言った。
「もっと早く知ってたらよぉ、オメェにもっといっぱい食わせてやれたのになって思ったんだ。身長もよォ、もうちーっと、伸びたかもしんねェぞ?」
 レオンハルトが背中に回っていたヤトの両腕を胸元に引き寄せる。「あと、えっとォ、寄ってくる女のコたち」
「それも、もうちっと、減ったかなーって……ったく」
 心底面白くない、という顔でレオンハルトがヤトの手にキスをした。ヤトはやっぱりへろへろになった。
「俺それだけでイけそうです」
「バッカ、それじゃ困るんだよ」
 にやりと笑うレオンハルトがヤトの上着を剥いだ。自分のシャツもばさりと脱ぎ捨ててヤトに跨る。
「準備の程、御披露してくれや色男」
「畜生この男前」