(get)OVER.


(後)


「何となく、うまくいかないだろうなって気はしてたよ」
 クラウスから手を離し、僕は中空に茶を創り出した。「おまえも飲む?」クラウスは片手で目を覆ったまま動かない。
「皆して僕の力は全能だって言うけどさ……笑っちゃうよね」
 なにが全能なものか。ぐったりとした弟の皮膚に付いた痣や傷は消せた。けれど慎重に探った深い部分の出血は止まらず、僕は冷やしながら細い体を抱き締めて震えていることしかできなかった。そしてもっと内側には忘れようのない惨たらしい痕を残した。大きく逞しくなって、物事に動じなくなった彼がこうして動けなくなるくらいに。
「殴る?」
 僕は笑いながら茶を飲んだ。駄目だとわかっているけれど、作り笑いはずっと昔に悪癖になってしまったのだ。
 と、がくんと体が折れてベッドに倒れ込んだ。左頬が熱い。「っは」一瞬遅れて痛みが来る。血の味がする。こいつまさか。
「ほん、とに殴ってくれるとはね」
「覚悟がないなら言うな」
 ぺっと溜まった血を吐き出す。白いリネンが汚れる。僕は力を使う。「まあ、利き手の全力じゃなかっただけ、感謝はするけどさ」
「っぐ、あ」
「無理だよおまえじゃ。僕に勝てるわけないじゃない」
 みしりとベッドが軋む。クラウスの身体が反る。僕には意識があるクラウスの肉体を傷付けることはできない。だけど僕らと大地を繋ぐ力を違う方向にするくらいなら造作もない。「背中、重い?」クラウスが僕を睨む。眉間の皺、本当に気にしなくていいのかな。
「お前も、存外馬鹿だな」
「はあ? おまえに比べたらお勉強不足なのは認めるけどね」
「そしておれより、不器用だ」
 僕は口を歪めて笑うクラウスを冷えた目で見下ろし力を強めた。これじゃあベッドの方がもたないかな。そう考えた直後に羽毛が舞った。折れた骨組みで寝具が裂けたらしい。羽毛は全てクラウスへ向かって落ちた。全身を真白に侵されていきながらクラウスが笑う。「もう一度言う。おれは馬鹿ではないし、もう餓鬼でもない」
「おれはあのとき怖いと言ったか?」
「……煩い」兄さんと呼ばれて、まだ高い声で、眦を染めて、
「お前にやめろと言ったのか?」
「黙れ」細い腕を疑いもなく差し出して、腰を上げて、そうして、
「あのときおれは、違わず受け取ったぞリヒト。お前が口にしなかったことを、」
「黙れって言ってるだろ!」
 クラウスの襟首を掴み上げる。同時に羽毛が舞い上がる。どうやら僕は力を維持することを忘れるくらいに檄したらしい。
 クラウスが身体を起こす。千切れた僕の服を掴む。額を突き合わせて睨み合う。
「リヒト、もういい」
 顔を逸らすこともできない。今の僕たちには境界がない。僕は力が使えない。
「もういいから」
 とんとんと背中を叩かれる。この子の手、大きくなったんだな。あのときは、僕の肩を掴むので精一杯だったのに。
「質させて悪かった。どう切り出すか、正直考えあぐねていた」
 今じゃ僕の背を、半分以上覆えるんだね。
「あのときおれは餓鬼過ぎて、お前のことを思い遣れる余裕がなくて、お前を責めて──追い込んでしまった。すまなかった。それと、ありがとう」
「ば、かじゃ、ないの。僕は」
「おれを守ろうと色々講じた、そのうちのひとつがあれだった。結果は徒労に終わったが、試さねばわからないことだ。お前は何も間違っていない。だからもう自分を責めるな。もう覚えていなくていい。お前にとって辛いことなら……忘れろ、兄さん」
 クラウスが僕を包み込む。父様よりもずっと太い腕で、壊れ物を扱うみたいな力で。
「辛いのは、ぼくじゃ……っ、ふ──」
「もう大丈夫だ。おれは大丈夫だよ。ありがとう」
 顔を埋めたクラウスの服が黒くて良かった。僕は血の色が苦手なんだよ。知ってた? クラウス。






「ここね、また直そうと思ってたんだ」
「何故」
「一人にはちょうどいいけど、二人には狭いからさ」
「新しく創ればいいだろうに」
「置いておきたいの?」
 背中をクラウスの胸に預けたまま尋ねる。クラウスの身体でできた囲いは思ったよりも居心地が良かった。だから余計に決まりが悪くて僕の口は軽くなる。
「……お前の家だ。好きにしろ」
「なにそれ。もしかしてここお気に入りだったの?」
 僕は笑って茶を創る。今の笑いは紛い物じゃない。正真正銘、意地の悪いやつだ。
「知っていて聞くな」
「お互いさまでしょ。あ、おまえも飲む?」
「飲む」茶器を二揃え創る。「熱いの?」「温めで」はいはい。
「なんでこんな狭いところがいいの。おまえの家より狭いよここ」
「別に広さはどうでもいいが……もうやめろこの話は」
「お兄ちゃん、たーくさん泣かされたからね。その分お返ししないと」
 はい、お茶どうぞ。僕は一層意地悪く笑って頭の上に茶を掲げて羽毛が舞ってくしゃみが──「あっ、つ!」
「阿呆、何をやってる」
 はいはいごめんなさい。温くて良かった。服はどうせ駄目になっちゃったし濡れてもいいけどね。
 僕の顔と肌蹴た胸元に零れた茶を見てクラウスが言う。
「魔力を使えと」
「だーかーらー! おまえがああいう顔するから嫌なんだってば!」
「どういう顔だ」
 僕は上を見上げて口を尖らせる。
「昔しょっちゅう僕にお願いしてたでしょ? あれしてみてー、これしてみてーってさ。見せたその後おまえもやってみようとしてたけど、からっきしだったじゃない。あのときと同じ顔だよ。あー僕教えるの下手なんだなってヘコむんだよねあれ」
 クラウスが眉根を寄せる。ねえ本当に大丈夫なのそれ。首を傾げてクラウスを見る。
「お前のせいじゃないだろう、おれ、が──」
 と、クラウスが顔と身体を僕から離そうとした。うん、全然離れなかったけど。なにせクラウスの後ろは頑丈な壁だからね。若干僕が更に寄り掛かる感じになったかな。
「え、なに? どうしたの?」
「動くな」
「は? なにちょっと」
 虫でもいるの? 僕は虫嫌いじゃないけれど痒いのは好きじゃない。きょろきょろと目を動かし身体を揺する僕をクラウスががっしと止める。
「頼むから動くな」
「理由を言いなよ。僕刺されるのは勘弁なんだけど」
「胸」
「は?」
「隠せ、早く」
「はあ?」
 何言ってんのこの子は、って「おまえさ」
「言うな。分かっているから言うな」
 クラウスは凄く珍しい顔をしている。僕も一度しか見たことがない顔だ。いやそのときよりもこれは。
 僕は背中を預けたまま暫く大人しくしていた……わけじゃない。見計らったようなタイミングで時々身体を、背中や腰を揺すった。糞、とクラウスが零す。
「僕さ、クラウス」返事がない。短い吐息だけが聞こえる。「やっぱりここ壊すよ」
 僕は身体の向きを変える。僕にも憶えのある目をしたクラウスが僕を睨む。
「おまえも僕も、今日ここに全部置いていく。どうしても置いていけなかったものは墓場まで持っていく。どう?」
「……いいだろう」
 僕はクラウスの顔に手を添える。同じ色の目が僕を見る。多分それを縁取る朱も一緒なんだろうな。ああやだやだ。
「最低だね僕ら」
「全くだな」
 噛み付くぐらい激しく口を重ねた。また羽が舞った。



 * * *



 羽を集めて少し足して、スプリングの利いたベッドを創る。
「っは、ちょっと、おまえさ」
「なんだ」
「少しくらい、待ちな、よ」
 僕の服を剥ぎながらクラウスが笑う。「息が上がるのが早すぎる」
「それとこれとは」
「だから言っただろう、二十年遅いと」
 ぐいと抱き上げられてベッドに投げられる。掛け布団なんかない。使う気がないから創っていない。
「もっと労わりなって言ってるでしょ。おまえそんなんじゃ逃げられるよ?」
「お前こそ、そんな調子で満足させられるのか?」
「おまえの体力を基準にしないでくれる?」
「残念だが今日は合わせてもらう」
「かわいくないやつ」
「可愛い方が良かったか?」
「ああもううるさいな」
 再三言われていたとおり、僕は力を使ってクラウスの上着を剥いだ。剥ぐ、というよりも消した。
「おい、おれは何を着て帰ればいいんだ」
「もうそのまんまでいいんじゃないのって、痛い痛い! ああもう、後で一揃い出しとくから噛まないでよ!」
「今出した方が賢明だと思うが」
 僕の首筋に顔を埋めたクラウスがくつくつと笑う。ほんとになんなのこの子。「はいはいご忠告どうも!」腹立つなあ。僕はクラウスの衣類を一揃え出す。下着は知るか。
 首と肩を隠す服ばかり着るクラウスの身体が見えた。隆椎の僅か下に僕の【鷹】と色違いの子がいた。首だけで、羽も胴も足も持たずにいる姿は切なく見えて、僕はそっと力を流してみた。動く気配はない。
「おまえの球は広すぎるんだね」
「そうか」
 広すぎて、主の下に顔を出せないのが心苦しくて、顔だけ残してかれは働いているんだろう。僕の【鷹】も飛んだことのない空の下を、もしかしたらずっとずっと従前の真暗の中を。
「──っあ」
「他のことを考えている余裕があるのか?」
「おまえさ、ほんとに、床の上だと人が変わるわけ?」
「変わっているつもりはない」
「っふ、あ、も」
 僕はクラウスの髪を掴む。もうかなり崩れていたけれど、今ので完全にぐちゃぐちゃになったな。
「おまえの髪も、僕の服と同じだろ?」
「まあな。そろそろ適当な長さで切っても良いかもしれないが」
 前だけが長い黒髪は常に額を出すように整えられている。幼さの抜けなかった容姿を隠すために色々と考えたらしい。
「僕らはさ、張り子だったね」
 僕はクラウスの黒髪に口付けを落とす。
「そうだな」
 クラウスは僕の淡い金の髪を弄ぶ。
「おまえは、もうちゃんと中身があるよ」
「お前もな」
「二年後に、顔を、見たっときに、っあ」
 乳首を噛まれる。横腹を舐められる。
「見たときに?」
「びっくり、した。背丈も伸びて、顔色も、ふ、良く、ぁ」
 腰の骨を食まれる。ベルトに手が掛かる。
「卿の教育の賜物だな。毎日死に物狂いだった」
「僕さ」
 全て剥ぎ取られる。僕もクラウスの全てを消す。
「いい男になったなって、思ったよ」
 クラウスが顔を上げる。アーチの下で見たような、無邪気な笑顔で笑う。「おれも思ったよ」
「綺麗になったなと」
「っふ、あ」
 黒い頭が下腹部へ落ち、僕のペニスが熱い粘膜に包まれた。全然上手じゃない。時々歯が当たる。「った、おまえ」
「頼むから、食べないでよ?」
「態とじゃない」
 そんな涎だらけの口で下から眺められたらさ、許さないなんて言えないじゃない。ほんとにかわいくないな。
「男の扱い方なんて知らない」
「女なら別だって言いたいの?」
 クラウスは答えない。まあこの子のことだから、あんまり上手には遊ばなかったんだろうな。それに僕も人のこと言えないし。
「全部置いていくつもりで白状するが」
 クラウスが僕の腿を噛む。僕は後で一体何か所治せばいいんだろうね。「な、に」
「おれはあのとき以上の快楽を知らない」
 僕の下半身から離れたクラウスが僕の顔の真上に陣取る。すご。そこも凄く、うん、逞しくおなりあそばしたみたいだね。
「んう」
「銜えて、リヒト」
 僕だってクラウス以外の男なんか相手にしたことがない。あのときも前戯なんかおざなりで、適当に含んで適当に濡らして必死に突っ込んだ。なのに、何を言ってるんだろうこの子ったら。
 ぐぽぐぽと音を立てて太いペニスが僕の口を犯していく。頭に手を添えられて腰を使われ、喉の奥まで遠慮なく突き立てられて酒を戻しそうになる。僕は抗議の眼差しでクラウスを見上げる。
「っ、く、あ」
 ──これはちょっと。ちょっと駄目な顔だ。まずい。
 僕はありったけの力を使ってクラウスを引き剥がす。口からだらりと粘糸が伸びる。クラウスが非難がましく僕を見る。「おい」僕は無視してクラウスの横へ寝転がる。頭の位置は真逆だけれど。
「ったくもう。どこでそういう顔を覚えたのさ」
 それから再び含む。
「あのとき、だと思、うが」
 クラウスも僕のペニスを含む。ああ、うん、さっきよりずっといい。勤勉っていいね。
 僕はずるずる吸い上げながら指先で一粒の薬を創り出した。最近販売されたあれを模してみたけれどどうだろう。消したいのは肉じゃないから作用すると思うけど。
 舌先で亀頭を嬲りつつ指ごと薬を舐めた。「さっきも言ったけど」
「っ、なにを」
「僕刺されるのは勘弁なんだよね」
「ふ」
 クラウスの後孔に薬を当てる。
「おまえは僕に挿れたい? 怖いなら口と手で終わらせるけど」
 目を見開いたクラウスは決まりが悪そうに視線を彷徨わせた。黒髪から覗く耳は酔ったレオのそれより赤い。
「おれは、男の抱き方なんか知らない」
「おまえね、ここまで来て回りくどいのやめなさいって」
 僕は上体を起こしクラウスを見た。さっきよりも凄い顔しちゃってまあ。
 クラウスも自分がどんな顔をしているか気付いたようだ。太い腕で顔を隠そうとしたけれど僕はそれを許さない。腿でクラウスの首を挟み、皮膚の薄い頬に濡れたペニスを押し当てた。クラウスの唇が震えた。怒るかなと思ったけれど、クラウスの口から出たのは怒声ではなく赤い舌だった。ペニスの中ほどをぬるぬると舐められる。それも良いけれど、
「僕はこっちがいいんだけどな」
 締った尻を撫でるとクラウスの腰が揺れた。「ほらクラウス」
「欲しいものは欲しいって言いなよ」
 言いつつ僕は体を再度横たえた。さあどんな反応を見せてくれることやら。今日の彼は僕にも予期せぬ行動をしてくれそうだ。などと考え僕は意地悪く笑う。
「性悪が」
 首の自由を取り戻したクラウスは僕を睨みつけた。正直怖い。クラウスが膝立ちになり僕を跨ぎ、僕のペニスに手を伸ばす。もしかしてそれ、握りつぶすんじゃないよね? 僕は冷や汗交じりにクラウスの動きを眺めていた。と、クラウスが上体を伏し腰を上げた。僕の目の前で大きなペニスが揺れている。
「……早く、挿れろ」
 クラウスは尻に左手を当て広げた。後孔がひくりと動いた。僕のペニスがまた舐められた。まったく本当に、予想以上のおねだりをありがとう。
「もっとかわいく言えばいいのに」
 余裕がない声で答えた僕は指先に魔力を纏わせローションを創った。ゆるゆると孔を撫でてやるときゅっと締る。
「まずこれを入れるからさ。力抜いてくれる?」
 答えを待たずに薬を入れた。粘液に助けられ僕の中指がクラウスの体内へ消えていく。奥まで差し入れた指で中を探った。きつくて、熱くて、すごく「溶けそうだ」
「おいっ、も、抜け、ゆび」
「挿れろって言っただろ?」
「作用、するまで、異物を入れるなと」
「僕が無駄な時間が要るものなんか創るわけないだろ」
 あくまで模しただけだ。入れた直後に薬は溶けているし、クラウスの体内もこの通り、
「もう舐められるくらいに綺麗だよ」
「あッ! う」
 口と手が止まったクラウスに代わり、僕は舌と指で執拗に奉仕した。クラウスは懸命に僕を潰さないようにしていてくれたようだけれど、さすがに三十分は長かったかな。
 僕は完全にベッドに突っ伏したクラウスに乗った。尻から腿はローションに塗れぐずぐずだ。尻にペニスを挟み腰を振ってみる。うん、気持ちがいい。
 親指で雁首を押し下げ緩んだ後孔へあてがう。クラウスがゆっくりと僕を見た。眦は朱く、唇は濡れ、「兄さん」──声は低く色を隠さず。
「安心しなよ。あのときなんか比べ物にならないくらい……よくしてあげる」
 ゆっくりと穿ったのは最初だけだった。



「僕、もさ」
「う、あああ」
「あれが、一番」



 * * *



 目が覚めると腕枕、なんてことはなかった。纏まりきらなかった羽があちこちにあって、乱雑に畳まれた服があって、薔薇の花束とカードが置かれていた。

 ──結婚おめでとう 心からの祝福を
   警備については後日

「おまえもね、クラウス」
 僕は笑い顔で泣いた。声を上げて泣いた。
 なぜあんなに泣いたのか理由はもう分からない。さっき消したあの場所に僕は全部置いてきた。

 ただ、カードの文字が震えていたことと、微かに滲んでいたことだけは墓まで持っていこうと思う。